アンデレ宣教神学院のバックボーン

アンデレ宣教神学院の母体となった日本福音宣教会・松山福音センターは、1956年に万代恒雄牧師が、東京より開拓伝道に着手するため単身来松したことにより始まります。

この開拓は無一文で始められ、幾多の苦難を経ましたが、神癒の旗印を掲げて語られた福音により、聖書の約束のように数々の奇跡が現れ、教会の基礎が固められました。

開拓より10ヶ月で自給体制が整い、開拓7年目に松山市内に約100坪の土地を購入し、会堂が建設されました。

開拓13年目に松山の教会は大きな試練の中を通されましたが、万代牧師はラジオ伝道の継続と海外伝道の新展開を志向します。

この海外伝道は日本のキリスト教史に類を見ないユニークなもので、あくまで現地の人々を対象とし、万代牧師の語る英語によるメッセージにより、インド・ブラジルなどを中心に数千から数万の聴衆を集める大集会が開催されるようになりました。

この働きは現在も継続され万代栄嗣牧師によりマレーシア・シンガポール・タイ・フィリピンへと拡大されつづけています。

日本の魂の救いのための働きもその後着実に発展し放送伝道・各種の出版物・各方面に対する講演会活動など、多角的な発展を見、特に多くの優秀なクリスチャン・ビジネスマンがキリストの救いにあずかるようになってきたのです。

こうしたところから世界的視野に基づいた独自の日本に対する伝道の方式が明確になってきたのです。

日本での効果的な伝道活動を推進するためには、どうしても社会的に影響力のある働き手の養成が必要不可欠なのです。

実社会から隔絶された献身者の育成ではなく、社会と接点を多く持ち、日本の社会に大して大きな影響力のある牧師・伝道師の養成がアンデレ宣教神学院の目指すところです。

聖霊の豊かな働きを信じる福音的信仰と実践的行動科学のノウハウに溢れた授業内容により徹底的なキリスト信仰を土台に、将来起こるべき日本のリバイバルに必ず用いられる有能な牧師・伝道師を生み出す一大使命に燃えています。

また、現在のキリスト教会が直面している世代交代に伴う牧師後継者のための教育にも注目し時代を担う器を輩出するために力を注いでいます。