特徴

クリスチャン・ビジネスマンのための神学校

当神学院は、日本における福音宣教の可能性に挑戦するため、特に現在、実社会で活躍するクリスチャン・ビジネスマンを主たる教育対象としています。
現在に至るまで実行に移し得なかった献身への決意を、現実のものとすることができます。

具体的には、年3学期・18スクーリング制の採用により、クリスチャン・ビジネスマンが現在の仕事を断念することなく、実社会での影響力とキリストにある証しの現実性を保ちつつ、牧師、伝道者となるための学びができるよう配慮されています。

実践派の献身者のための神学校

すでに、牧会・伝道活動をはじめていたり、教会の働きから離れない献身者の活動を積極的にサポートします。

集中スクーリング方式の採用により、学期中であっても月に1週間程度(それも基本的には月~土曜日の6日間)各教会を離れるだけで学びを継続することが出来ます。

また、授業で取り扱われた内容も、すぐ牧会・伝道活動に応用することのできる実践的なものばかりです。

純粋な信仰

聖書を霊感によって書かれた生ける神の御言葉と認め、イエス・キリストの十字架の死と復活によってのみ与えられる救いと新生を信仰生活の土台とします。

信仰をただ概念的なものとして捉えず、実際に信仰によって生きることを学生が体得することを目指します。

徹底した学び

牧師・伝道者が専門職であることを正確に捉え、この専門職のために必要不可欠な学術面における情報を学生が徹底的に吸収できるようカリキュラムが整備されています。

伝統的な神学教育による学びをすすめると同時に、福音宣教を必要とする実社会の現実性・現代性を直視し、現代人のありのままの生活に適用する信仰の実践を支える知識・理論を体系的に網羅します。

妥協のない実践

神学校教育が勉強のための勉強に終始することなく、常に現実の救霊の働きへのフィードバックがなされることが目標とされます。

従来の福音宣教の限界に捉われることなく、牧師・伝道者が強烈な信仰をもつのみならず、実践的行動科学の採用により理論に基づく徹底した行動、妥協のない実践を身につけるよう指導がなされます。

日本福音宣教会との協力態勢により、在学中からユニークな伝道の働きに着手することができ、また、万代栄嗣教務主任を始めとする、現代の福音宣教の第一線で活躍する牧師・伝道者による牧会・伝道コンサルタントを受けることができます。

敏感な霊性

学生が祈りの生活を発展させ、神との交わりの中に毎日の生活が構築されるよう指導されます。

今も生きて働く神のみこころに常に敏感であり、聖霊の働きに常に対応し、その流れの中に福音宣教が実践されるための一信仰者として霊的覚醒が求められます。

超教派としての視点

当学院は、設立母体である日本福音宣教会の方針と同様、超教派的立場を維持します。

よって、入学志願者は、必ずしも、日本福音宣教会に所属する教会員である必要はありません。

また、学生は在学中及び卒業に際して、日本福音宣教会に対して、特別な責任等を負いません。

当学院は、超教派の神学校として各派から学生を募集しています。

教義

アンデレ宣教神学院において尊守される教義・信仰告白は、聖書の権威に正しく基づくものであり、初代教会以来、キリスト者の信仰と実践の中で厳格に検証され受容されてきたものでなければなりません。

当学院の超教派的視点に基づき、総括的には、使徒信条をはじめとする初代教会の信条、また伝統的なプロテスタント教会における信仰告白を認めるとともに、具体的には日本福音宣教会の教義に従って、以下に示した信仰告白を尊守します。

Ⅰ.

私達は、唯一まことの神、霊であり全てのものの創造主なる神を信じます。

神は全知全能、愛と義に満ちた完全な神であられ、本質においてまったく一つでありながら、父・子・聖霊の三位一体なる神として永遠に存在しておられます。

神は万物を無から創造され、全てを保ち支配しておられます、創造された世界を通して御自身を啓示される神は、明確な救いの意図をもって人間歴史に介入され時には言葉をもって語り、あるいは様々な出来事によって御自身を示されました。

この救済の歴史は、肉となられた生ける神のことばであるイエス・キリストのうちに完成し、その事実は聖書に示され、聖霊の働きにより私達に明らかにされます。

Ⅱ.

私達は旧・新約聖書が神の霊感によって書かれたものであり、神の自らに関する啓示の最も本質的かつ信頼できるものであり、神が人の救いのために示された意志の完全な啓示であること、また、全てのキリスト者の信仰と日々の実践のための誤りなき原則、至上の権威であることを信じます。

聖書各巻は初め信仰者であるそれぞれの著者により、神との交わりの中で特定の歴史的背景・目的をもって書かれましたが、その過程は聖霊の明確な指導と監督のもとに行われ、この結果、聖書は今も生きて働く神の御言葉として、変わることのない神の御旨を私達に示しています。

Ⅲ.

私達は、イエス・キリストが聖霊によってやどり、処女マリヤより生まれた方であり、真の神、真の人であることを信じます。
彼は神のひとり子でありながら、人としての生活を全き柔順のうちに成し遂げられ、神の救いの計画が彼の到来により成就したことをその教えとわざの中で証明されました。

彼は私たちの罪のために犠牲となり、身代わりとなって十字架上で死なれ、葬られ、私達の罪をあがなったのち、3日目に死より甦り、死と闇の力に打ち勝たれました。その後、天に上り、父なる神の右の座につき、私達の大祭司としてとりなしをしていてくださいます。彼は全てのキリスト者の主であり、全てを父なる神と共に治めておられます。

Ⅳ.

私達は、聖霊が私達の内に働いて罪を示し、罪の悔い改めに導き、イエスを主であると告白させ、完全な新生を与え、キリスト者の内に住みたもう方であることを信じます。

聖霊は、助け主、慰め主として私達と共におられ、絶えずとりなし、私達を聖化し、神への奉仕と日々の生活のために力を与えてくださる方であることを信じます。

Ⅴ.

私達は、神が人を、被造物のかしらとして神との交わりに生きるように、ご自身のかたちに創造されたこと、また、悪魔に誘惑され人は意図的に神に反逆し、罪に堕ち、失われたものとなり、神の怒りを身に負い、いかなる努力や行いによっても神との交わりにある真の霊的生活を回復することはできないものであることを信じます。

人は生まれながらにして、また、意識的にも罪のために堕落しており、救い主イエス・キリストによる罪のあがないによらないでは、ただ永遠の滅びにいたるばかりです。

Ⅵ.

私達は、イエス・キリストの流された血潮と彼の復活のみが人の救いを可能ならしめること、また、人はイエス・キリストを信じ受け入れ、罪を悔い改め、全身全霊をもってキリストに従う信仰によってのみ、備えられた神の恵みにより、罪を許され、義と認められ、新生にあずかることを信じます。

この救いにあずかることにより、私達は罪の支配と刑罰から解放され、神の子として永遠のいのちを受けることができます。

Ⅶ.

私達はイエス・キリストによってあらわされた神の恵みにより、御言葉の学びと祈りとにより、日々祝福のうちを歩むものとされたことを信じます。

新約聖書に示された聖徒たちの信仰による経験が、今日のキリスト者にも与えられるものであると信じ、神癒・異言・聖霊の賜物と実などに表される豊かな聖霊の働きの中に生き、キリスト者としての節度ある生活を営むことができます。

また、常に喜び、救いにあずからせていただいた神の選びの恵みに感謝しつつ、世の光、地の塩であるキリストの証し人として生き生きと歩み、主の再び来たりたもう日を待ち望みつつ、福音伝道に励みます。

Ⅷ.

私達は洗礼と聖餐とが今日の教会において執り行われるべき礼典であると信じます。

洗礼は、イエス・キリストを主と信じ告白するもののみに授けられ、罪の身が十字架に死に、復活において新生にあずかることを象徴し、聖餐は、イエス・キリストのあがないの死を記念するものであり、私達の救いの原点を確認し、主の再臨に至るまでの希望と、私達に課せられた使命とを再確認させるものです。

これらの二つの礼典は、個々人が神への正しい信仰をもって享受するときに真に意味を持つものであり、礼典そのものが救いへの手段ではありません。

Ⅸ.

私達はまことの普遍的教会とは、イエス・キリストを信じる信仰により、あがなわれ、新生にあずかったものたちが、共に集まり、結びつけられて形成されるものであり、キリストのからだであり、そのかしらは救い主イエス・キリストであることを信じます。

各個教会においては、神への礼拝がもたれ、御言葉が語られ、礼典が執り行われ、全てのものを救いに導くため日々の牧会・伝道活動を通して、福音が述べ伝えられ、全ての信徒がひとしく福音伝道に携わります。

私達の生活は、礼拝を守ることから始まり、神の救いを喜びとし、御言葉を学び、祈りをなし、人々のありのままの必要に対処しつつキリストを証し、兄弟姉妹と祝福を分かち合います。

Ⅹ.

私達は主イエス・キリストの再臨を信じます。

神の救済の歴史はキリストの再臨によって全く完結し、神は人を死から甦らせ、全てのものを生前の行いについて裁かれます。

神を認めず罪にとどまったものは永遠の刑罰として神の臨在から隔絶され、キリストの救いにあずかるものは栄光の身体を受け、神と共に交わり、生きる、永遠の祝福が与えられます。

再臨の主は全てのものを新たにし、神の国を完成されます。